ところで「親孝行ってなんだろう?」【異種1テーマ格闘コラム(吉田潮)vsマンガ(地獄カレー)】
【連載マンガvsコラム】期待しないでいいですか?Vol.4
◾️妹・吉田潮は【親孝行】をどうコラムに書いたのか⁉️
認知症の父が特別養護老人ホームに入って、丸2年が過ぎた。コロナ対策として、ホームは面会禁止だ。もう3か月ほど会っていないが、話はしている。というのも、ホームのスタッフさんがLINEでビデオ通話できるようにしてくれたからだ。
とはいえ、会話になっているわけではない。父の顔を見て、こちらも顔を見せて、ついでに飼い猫も見せて、数分だけの生存確認。ボケが進んだかなと思いきや、意外と元気だ。「もしや私たち家族が行かないほうが父もしゃっきりするのでは?」と思うほど。その陰にはスタッフさんの日々の努力と工夫があるのだ。
老人ホームに入れた罪悪感はゼロではないものの、こまめに訪問することで限りなく和らげることはできていた。そして、訪問できない今は、レターパックでお菓子や雑誌を送ることで、父の機嫌をとる。ナマモノは送れないので、日持ちするコンビニのドーナツやフィナンシェ、ようかんやまんじゅうなどを送る。
届いた途端に袋をビリビリと開封し、中のお菓子を無心に貪る姿をLINEで見たときは、「地獄の餓鬼か、はたまた欠食児童のようだ」と思った。とにかく「食べる」ことへの執着が異様である。食が豊かな日本において、なかなか目にしない光景。右手でクッキーを貪り、ボロボロとこぼしながらも、左手はまんじゅうを掴んで離さない。目はさらにレターパックの中の他のお菓子を凝視。父の唯一の生きがいが「食べる」ことなのだと改めて思った。
自分でいうのもなんだが、親孝行だと思う。排泄を失敗し、転倒を繰り返し、時間や空間の認識能力が衰えた父を、24時間誰かしらが見守ってくれて、食事も入浴も排泄もケアしてくれるホームに入れたことは、親孝行だと胸を張って言いたい。たとえ父が時折窓の外を見ながら「そろそろ俺も家に帰らなきゃな」と何度も繰り返しつぶやいても、罪悪感で胸を押しつぶされそうになる前に笑顔でスルーする、それが親孝行である。認知症の親に対する敬いであり、尽くす行為でもある。
一方、独り身となった母に対しては、親孝行が非常に難しいと感じている。昨年夏に膠原病系の病気で入退院を3回繰り返し、かなり体力が落ちた。食も細くなった。本人いわく「何を食べても苦いの。もう砂を噛むような人生」だそうだ。いや、それは言い過ぎ。悲劇のヒロイン気取りか、とツッコんではいるのだけれど。
まめに電話をかけて生存確認はするものの、父がいなくなって、病気になって、食欲が落ち、体力に不安のある母をどう元気づけていいのか、わからない。昨年は温泉旅行に誘おうと思った矢先に救急車で運ばれて入院するし。何か美味しいものを買っていくと、「こんな高級なモノ、もったいない!」と言う。明るい色みの洋服を送ると、「後期高齢者には派手すぎる」と文句言う。それでも時々、いたく気に入ってくれるモノもあるので、数打ちゃ当たるってやつだ。
とにかく母は、私に金を使わせることをよしとしない。土産やいただきものだと言っても、私に金を渡そうとする。ちばぎんの使い古した封筒に入れて、セロテープできっちり貼って。「いらないよ」「そういうのイヤなの!」「別に懐痛いわけじゃないし」「いいから!」の攻防戦が毎回勃発。喫茶店の支払いで、必ずおばちゃんたちが繰り広げる一連の気遣いコントのようである。
金ではなく、行為にしたって、あとで文句言うから厄介だ。肩をもんであげると、その場ではひどく感謝するものの、のちに「潮は握力が強すぎて、あとで揉み返しがくるのよ」と言う。風呂場で背中を流してあげると、「気持ちがいい」という割に、あとで「背中がヒリヒリする。力が強すぎる」と言う。舌打ち百万回な感じだ。
その点、父はわかりやすい。甘いモノや果物を持っていけば大喜びだ。もちゃもちゃと食べながら「美味~♡」と可愛らしい言葉を発しようものなら、私の「親孝行しとる感」はマックスである。しかし、母に関しては、なんかこう、肩透かしが多い。私が何か求めすぎなのだろうか? 世の中、親孝行ってどんな感じ? 金でもモノでも身体ケアでもなく、何が親孝行になるの?
おそらく、私の行為にはすべて「母のためにやってやる」感が強かったのだと思う。恩着せがましかったのかもしれない。見返りを求める気はさらさらないが、母にそう思わせてしまったのだろう。不徳の致すところである。
そこで、「お願いする」という方向で考え直してみた。
「ちょっと俳句詠んでみてよ。私たち家族に関する俳句を。よかったら原稿に入れさせていただきますから」
母はこの連載を読んでいる。姉と私のコラボに、母も参加させようと思ったのだ。すると、2日間立て続けにFAXが送られてきた。父の不在を悲しみ、独り身の寂しさをつのらせる句もあれば、ある種の諦観、枯淡の境地が漂う句もあった。
空き部屋より 夫(つま)の声して 春の闇
白昼の ひとりに倦(う)めば 初音かな
木瓜の花 誰にも 気兼ねなき暮らし
我が空虚 何して埋めむ 明易(あけやす)き
夕端居 雲の流れを 見てをりぬ
薔薇咲ひて 老境の道 また一歩
また、6月から同居する姉についても詠んでいた。
子と暮らす 覚悟を決めて 花は葉に
帰省子の 運転たくみ 初夏の風
健啖の子の 丼飯や 夏来たる
胡瓜もみ 食ぶ子と 老後の話など
うんうん。いいね。俳句のよしあしは私にはわからないけれど、父や姉に対する複雑な思いが表現されている。いいね……でも……はたと気づく。全19句になぜか私は出てこない。もしかしたら私かなと思うのは1句のみ。
背を流す 子の掌(て)優しき 初湯かな
しかし、初湯は1月の季語だ。正月に母の背中を流したのは私じゃなく姉……。
ま、いいか。暇さえあれば家の中を片付け始めてどんどこモノを捨てるか、心配性で余計なことを考えこみ、勝手に不安に陥って動悸を激しくさせている母が、張り切って俳句を詠んで、豊かな時間を過ごしたのだから、よしとしよう。これも親孝行と思うことにする。
(連載コラム&漫画「期待しないでいいですか」? 次回は来月中頃)
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